おっぱいサバイバー

2015年28歳で乳がん告知。闘病の記録と感情をつづるブログ。

近況(術後2年を迎えて)

約1ヶ月ぶりの更新です。

もうすぐ術後2年を迎えます。去年から毎年恒例となったマンモグラフィーとPET CTは、今年も無事にクリアしました。よかった! 検査後から結果を聞くまでの間、不安でストレスが非常に強いのですが、今年は主治医の気遣いで、中1日で診断結果を聞けました。初めて「乳がんです」と言われたときの衝撃が脳裏に焼き付いたまま離れなくて、何かと結果を聞くタイミングは不安でいっぱいになります。同様の理由で、会社の健康診断も恐くて仕方がない。当時から現在に至るまで、「早く見つかってよかった」と思い続けてはいますが、もう2度とがん告知は受けたくないです。

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ハーセプチン治療について

乳がん治療中の女優・南果歩さんが「抗がん剤治療を辞めて代替治療を行なっている」という報道がありました。それについて、医療を取り上げるメディアや報道のあり方をbuzzfeedが指摘しています。

「登壇させた主催者や伝えるべきでない情報を切り抜いて伝えたメディアの問題は大きい。啓発団体やメディアは、情報を受けた人がどのような影響を受けるかもきちんと考えて、発信する内容を吟味し、その内容に責任を持つべきです」

乳がん治療中の南果歩さんの講演 「責められるべきは本人ではない」

ちなみに、乳がんステージ1であるという南果歩さんの治療の選択と、そのリスクなどについては医師の id:NATROM さんの記事がわかりやすかったです。

d.hatena.ne.jp

さて、報道のあり方や、乳がんの標準治療以外のリスクは、患者としてもインターネットで仕事をする身としても、とても気になるトピックです。ただ、今回は「ハーセプチン治療」について、「抗がん剤」という言葉から、記事を読んだ人が受け取るイメージが実態と異なるかも...?
と思ったので、実際に治療を受けた身として感想を書いておきます。

ハーセプチンは、前述のNATROMさんの記事にもありますが、一般的な抗がん剤のイメージとは異なります。

ハーセプチン(一般名:トラスツズマブ)は、HER2と呼ばれる蛋白質に対するモノクローナル抗体である。HER2を発現しているがん(特に乳がん)に対する抗がん剤として使われる。一般の方々がイメージする抗がん剤(細胞障害性抗がん剤)のように髪の毛が抜けたり血球減少が起こったりはしにくい。

乳がん術後の「抗がん剤ストップ」のリスクはどれぐらい? - NATROMの日記

わたしは、ステージ2aで、HER2陽性だったためハーセプチン治療を受けました。術前に6クール(ほかの抗がん剤*1と合わせての投与)、その後手術と放射線治療を経て、残り約8ヶ月くらい3週おきに投与しました。わたしの受けた説明では、ハーセプチンは合計1年間投与するのが一般的だそう。なので、わたしもその通りに投与しました。

その間の副作用は、術前は、ほかの抗がん剤の影響で、強い副作用がありました(この辺は過去記事にも書いています)。が、術後の投与は、体感できる副作用はありませんでした。仕事にも普通に行っていたし、脱毛もせず、白血球も減らず、食欲も変化なく過ごしました。心臓への負荷が懸念されたので、心エコーを定期的に受けていましたが、それも問題なし。正直、術前の抗がん剤が地獄みたいだったので、かなり不安でしたが、ハーセプチン最高やんけ!となんども思ったほどです。

そんなわけで、ハーセプチン治療を不安に思っている方がいたら、元気な患者もいるんだよ!と伝えておきたいので、記事に残しておきます。こちらからは以上です。

*1:ペルツズマブ、ドセタキセル、カルボプラチン

産まない選択(がん治療と卵子凍結についての話)

特別お題「『選択』と『年齢』」

いままでの人生をふりかえると、いくつもの選択をしてきました。一番初めにあった大きな選択は、中学3年生のとき、進学先を決めたことと、それにともなう入寮でした。その後も、進学、就職、引越し。誰かと付き合うこと、別れること。結婚すること。大きな買い物。...と、それぞれ家族や友だちの反対もあったけれど、すべて自分の意思で決めてきました。若くて健康だったわたしは、諸々のしがらみや、年齢はあまり気にせず「自分がやりたいか?」だけで選んでいたと思います。

乳がんになり、治療方針を決めるとき、医師から、ある選択を迫られました。

「子どもを産む可能性を、できるだけ高く残したいですか?」

妊孕性(にんようせい)といわれる「妊娠のしやすさ」は、基本的には年齢によって決まり、高齢になればその可能性は下がる、ということはよく知られています。

抗がん剤治療をすると、妊孕性が下がるといわれます。実際、わたしも抗がん剤投与直後から生理は来ませんでした。また、ホルモン治療では、女性ホルモンを抑える(生理を止める)ため、その期間は妊娠できなくなります。治療を終えると元に戻るといわれていますが、実際にどうなるかは個人差があるそうです(治療後も生殖機能が残って、出産されている人もいます)。さらにホルモン治療は5年〜10年と長期間に及ぶことが多く、わたしの場合は10年間行う予定のため、治療終了時に39歳。もしも妊娠を望むのであれば、その可能性をできるだけ高く残しておかなくてはいけません。

具体的には、治療前に、卵子を凍結するかどうかの選択をしなくてはいけませんでした(わたしが病院で受けた説明では、既婚者の場合、卵子だけではなく受精卵の状態で保存したほうが良いとのことでした)。そして、その答えは1週間で出す必要がありました。

わたしが出した結論は「凍結しない」でした。それは、将来的に「妊娠を望まない」ことと、ほとんど同じ意味だと覚悟しました。

卵子の凍結は、わたしが治療を開始した時点では保険適用外。いまは、自治体によっては補助金を出している場所もあります*1が、数十万規模のお金が必要になります。注射や卵子採取など、治療もラクなものではありません。

告知を受けたばかりのわたしは「早く治療をしたい」が一番の願いでした。そして、すでに結婚をして3年ほど経った状態で、「どうしても自分の子どもを産みたいわけではない」と何となく思っていました。正直にいえば、「がん治療を理由に子どもを産まなくて良い」という事実に、少しホッとしました。いま考えてみれば、がんにでもならないと、堂々とそういう選択ができないのはおかしな話ですけれど。

夫は、病院で一緒に妊孕性についての話を聞いており、わたしの「卵子凍結はしない」という結論に、すぐに了承してくれました。いつも「(僕のことより)したいようにするのが一番良い」と言ってくれる人です。夫には子どもがいるので、わたし自身が本当にどうしたいか?というのを考えやすかったと思います。もし、夫婦ともに子どものいない状況だったら、違った結論を出していたかもしれません。

それから2年経過した現在、選択に後悔はありません。誰かと比べずに、好き勝手に生きる人生はかなり楽しい。

がん治療は選択の連続で、その選択か正しいかは、自分が幸せかどうかでしか決められないのだと思います。病気になってしまったことに選択の余地はなかったけれど、それからの選択は自分でできる。だから、卵子凍結しなかったことも、抗がん剤治療をしたことも、温存手術を選んだことも、いま幸せなので良かったのかなと思います。

年齢や、病気や、そのほか様々な理由で、急いで決めなくてはいけない選択が出てくるのが人生です。選択の最中は、不安で押しつぶされそうになることもあるけれど、どうせいつか死ぬならば自分が幸せだと思える選択をしていきたい。

30歳を超えても、病気になっても、意外と幸せです。

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