がん患者向けメディア「オンコロ」でインタビューを受けました
お知らせ続きですみません!
ずっと読んでいたがん患者向けメディア「オンコロ」でインタビューを受けました。闘病と仕事について、患者個人として感じているインターネット業界やメディアへの課題などを話しています。
よければご覧ください。
京大の大塚先生と対談しています
不思議な縁があり、京都大学で医師をされてる 大塚 篤司先生と対談しました!
- ネットの医療情報との向き合い方
- 告知直後に選んだ本
- 患者として情報発信をすることの思い
- 新型コロナが流行する中での治療……
幅広いトピックについて話しています。よければご覧ください。
乳がんの告知から5年が経ちました
2015年5月2日、ゴールデンウィークの初日。乳がんの告知を受けました。28歳。
そこから5年。やっと、やっと、2020年を迎えました。まだ治療は続いているけれど、あのころ信じ続けた「未来」にたどり着いて感慨にふけっています。
告知直後、どうしてわたしなんだろう? と思ったし、別の世界線に迷い込んだような、どこかに健康な自分がいるような、他人事のように感じていました。今となっては、乳がんステージ2aというのは、治療がつらいこともあるけれども治せる病気で、病後には仕事も趣味も自由に行うことができる、と身をもって理解しています。
だけれど、告知を受けてから1ヶ月ほどは「ほんとうに生きていられるのか?」と何度も不安に思ったし、告知から2日後に行った旅先で「もう二度と来れないかもしれない」と恐怖で泣き続けたし、時間があればインターネットで「5年生存率」と何度も検索しました。ふと、きちんと治療をすればすぐに死ぬことはないと気づいてからは、覚悟を決めて、抗がん剤治療を始めるころからは気丈に振る舞い続けていました。抗がん剤の途中であまりのつらさに泣くことがあったけれど、その後の手術、放射線、分子標的薬(ハーセプチン)、ホルモンと乳がん治療におけるフルコースをこなす中では(まだ途中ですが)、なんとか乗り越えてここまで来れました。
5年生存しても、その具体的な姿が見えていなかったあの日。たとえ生き続けられたとしても、もう仕事も、好きなことも、二度と元どおりにはできないかもしれないと感じたこともありました。でもいまの生活は、ありがたいことに、わたしの意思で仕事も趣味も家も選べ、楽しく暮らしています。
初めに診断を受けた病院で「大丈夫、治ります」といった主治医の言葉を励みにし、同じような病気を克服した同世代の著名人を見ては自分を奮い立たせ(同時に亡くなった方を見ては気を落とし、だけれど悔しさをバネにしようと思い)、友人・知人からの励ましの手紙を何度も読んで元気を取り戻していました。治療を受けるだけではなく、自分の感情もケアし、家族を中心としたまわりの人たちに支えられ続けた5年間でした。
この5年は治療を中心とした生活で「生きてさえいられれば良い」と思っていたけれど、これからの5年は好きなことをたくさんやっていきたいと思っています。まさか世界がこんなふうになるとは思っていなかったけれど。
ところで、がんの告知を受けた日は「セカンドバースデー」というらしい。誕生日おめでとう、わたし。
これからも、のんびりと、しぶとく。