おっぱいサバイバー

2015年28歳で乳がん告知。闘病の記録と感情をつづるブログ。

乳がん告知から7年経ってた、元気

言いたいことはタイトル通りです。元気すぎて、1年に1回しか更新しないブログになりました。もはや闘病ブログと言えるものではなくなってきましたが、まだわたしはホルモン治療を続けており、あと3、4年くらいは続きます。はあ、長い。

生活は相変わらずで、福岡からリモートワークでCancerWithというがん相談サービスを立ち上げ中*1。人生の経験も職業の経験も同時にいかせているので、まじで天職だと思っています。あとは成功するのみですね。欲をいえば、わたしの人生が、同じ病気の方のうち一人にでも勇気を与えられれば嬉しいです。

さて、7年前に比べて世の中は大きく変わって、例えば乳がんの遺伝子検査が条件を満たせば保険適用になったし、妊よう性温存の費用を補助する自治体も充実してきました。若い世代の乳がん闘病と、その後の人生がよりよくなってきていると信じたい。ですので、このブログの全記事にも「筆者が抗がん剤治療や手術を行ったのは2015年のため、治療に関する情報は最新と異なる可能性があります」という注意書きを入れました。情報としては古いけれども、最近でも同病の方から「chiraさんのブログを読んで勇気が出ました!」というコメントをもらうことがあったので記事としては残し続けます。

次の1年も元気に過ごそう。

乳がんの告知から6年経って、やっと自分らしく生きられるようになってきた

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5月2日はセカンドバースデーでして、つまりがん告知を受けた日です。今年で6回目で、28歳が34歳になりました。

抗がん剤・ハーセプチン、手術、放射線、ホルモン…… と続いてきた治療はだんだんと減り、先日ホルモン治療の2種のうち1種が減り、ついに治療は残り1種類になりました。毎日一錠の錠剤を飲むのみです。あと5年続くけど。告知を受けたときは「10年も治療が続くってことはそれだけ生きられるってことじゃん!」とポジティブに受け取っていましたが、正直にいえば、そろそろ飽きてきています。当時の看護師さんには「あっという間に終わるよ!」と言われたけれど、まだ半分もあるのか…… という気持ちの方が強い今日この頃です。病識が薄くなり、ほとんど完全に健常な日々を生きている、ともいえるのかもしれません。

さて、去年の5月は、節目の5年だったので所信表明のようなことを書いていました。

この5年は治療を中心とした生活で「生きてさえいられれば良い」と思っていたけれど、これからの5年は好きなことをたくさんやっていきたいと思っています。

乳がんの告知から5年が経ちました - おっぱいサバイバー

この1年間は、「そういえばわたしはこういう人間だったな」と思い返す機会が多かったように思います。それは病気から時間が経ったからか、コロナ禍の生活に慣れたからか、単に歳を取ったからか、それら複合的なものかはわかりませんが、この1年間で変わったことを記録しておこうと思います。

キャンサーペアレンツ・西口さんのこと

昨年5月に所信表明を書いたのも束の間、キャンサーペアレンツを立ち上げた西口さんがいなくなってしまいました。キャンサーペアレンツは、子どもを持つがん患者のためのコミュニティ。わたしは、ほんの少しデザインやディレクションをお手伝いしています。いまもわたしが「がん患者とインターネット」をテーマに活動しているのは、西口さんの思いを聞いたことが大きいです。

特に感銘を受けたのは、「活動をちゃんとビジネスにする」と言い続けていたこと。患者コミュニティやサービスは、寄付やボランティアなどで成り立っていることも多いのが実情です。もちろんそれでうまく活動が継続すれば問題ありません。でも、寄付やボランティアは特定の個人・団体に依存することも多く、活動が継続しづらいことなどから、課題を感じています。

こどもを持つ“がん患者”のためのコミュニティ「キャンサーペアレンツ」でのお手伝いについて - chirashi

願わくばもっとそばで修行をしたかったけれど、叶わなくなって以降は、自分のやりたいことをやろうと思ってきました。

AFTER5のこと

そういう中で、自分でTwitterで呼びかけて仲間を集め、「AFTER5」というメディアを立ち上げました。何人かの方に実際にお話を聞きコンテンツを作り、「読んでます!」と言われることも増えて、良い企画ができつつあったと思います。

だけど、プライベートで始めた活動を継続的に行うのは難しく、いまではまばらな状態。立ち上げることを重視していたこともあって、「ちゃんとビジネスにする」ができていませんでした。これからどうするかは、仲間と話し合いながら改めて考えていこうと思っています。

AFTER5

この体験や本業などから気付いたこととして、現在のわたしはトップに立って姿勢を示すよりは、その直下で実務をゴリゴリ進める方が向いているようです(という感じで3つ目に続きます)。

CancerWithのこと

今年、2021年に入って、株式会社ZINEの運営する「CancerWith」というオンラインがん相談サービスのディレクションを行うようになりました。もともとクローズドベータテスターだった縁で、現在は業務委託として定常的にサービス開発・運用を行なっています。

CancerWithは、がん罹患後の皆さんが、主治医には聞きづらいことをオンラインで気軽に聞けるサービスとして立ち上げました。2月に公開したばかりでまだユーザーは多くありませんが、今後は患者会・コミュニティ、各自治体、医療機関、企業などと連携して、より多くの方に認知いただけるようにしていければと思っています。

オンラインがん相談サービス CancerWith

ZINEには1月に参画してから、β版ローンチを含めておかげさまで活躍できている自負があります。病気になる前の職業人生から、この2、3年の「がん患者とインターネット」をテーマにした活動が線で結ばれたような感じです。

とはいえサービスとしてはまだまだなので、これからグロースや新機能開発も進めていきます。興味のある患者の方はぜひご利用いただきたいし、医療従事者の方はアドバイザーとしてご活躍いただきたいし、あるいはサービス開発者のご相談やエンジェル投資もお待ちしてます。…… というのを全部ひっくるめて、ちゃんと組織で、ちゃんとビジネスとしてやっていく覚悟が必要だなと強く思ってます。


そんなこんなで、この1年を振り返ると、「がん患者とインターネット」というテーマだけで意外と色んなことがありました。この記事では割愛しますが、本業もかなり頑張ったので本当によく働いた1年だったと思っています。

そしていま思うのは、わたしは意志を持って積極的に新しいことをやりたい人間だったということ。

がんになって治療をして社会復帰をした直後の2、3年は、目の前のことをこなすだけで精一杯だったし(それでもうまくいくようにサポートしてくれた同僚や上司や家族には感謝しています)、「何かを頑張っても病気になったら無意味」という意識も強くありました。それは自分の心を守る意味もリハビリという側面もあり、わたしにとっては必要な時間だったとは思いますが、本来の自分に戻るまでは5年も経っちゃったんだな、とも思います。

病後は「余生」みたいな気持ちでいたけれど、30代も半ばで、まだまだ長く生きていく必要があるから、そんなことも言ってられない。次の1年もがんばるぞ。

がんになった自分の人生を肯定する

今日は定期(おおむね年一回)のマンモグラフィとエコー検査でした。無事にパス。しかしマンモグラフィがここ2、3回すごく痛くなっている気がする…… という話を主治医にしたところ、手術直後よりも年数を経過した方が痛みが増すのは「あるある」で、痛覚(神経)が復活したりだとか、筋肉が落ちたりだとか、放射線治療で皮が硬くなったりだとか、いろいろな要因で痛くなることが多いそう。解決策は特にないとのことなので、我慢します……。

ところで先日、大学1年生で胚細胞腫瘍と白血病になった京大生・山口さん(id:GUCCHi)の著書『「がんになって良かった」と言いたい』を読みました。

「がんになって良かった」と言いたい

「がんになって良かった」と言いたい

もともと、はてなブログで書かれている闘病記「或る闘病記」を購読していたのがきっかけで、Twitterでも相互フォローなこともあり、陰ながら応援していました。

わたしは闘病に関する本を読むとき、結論が分かっていないとこわくて読めないので、その方の現状を把握してから読むようにしていますが、山口さんの別ブログ「ヨシナシゴトの捌け口」の最新エントリーを読むと近況が知れると思います。

「がんになって良かった」と言いたい』というタイトルから、ちょっとスピリチュアルな気配も感じますが、もともとブログを読んでいたのでなんとなく中身は想像できていました。わたしなりに言い換えるとすれば、がんになった自分の人生を肯定する、ということかなと思います。

がんに関する、特にAYA世代の闘病記は何冊か読みましたが、圧倒的に客観的で冷静。だけれども、人間味があって、奇跡を忘れない姿勢に共感します。本文内で村上春樹や重松清の著書が引用されているのも、わたしと好みが似ていてつい読んでしまう。

気になった箇所をいくつか引用します。

「悲劇のヒーローになるな」
師の一人はそう言った。

がん患者は可哀想な存在ではないということを、多くの人に知ってもらいたい。もちろんきれい事だけじゃない。

上記の2つは、プロローグに書かれている言葉で、首がもげるほど共感しました。若くしてがんになると、同じ病の人からさえも「可哀想」と思われてしまう。インターネットなどで情報発信をしていると、自分で気をつけていたとしても、メディアに「悲劇のヒーロー・ヒロイン」にされそうになってしまう。

治療は、精神的にも肉体的にもしんどいことがあるし、特に髪がない状態なんかは「可哀想」を絵に描いたようなビジュアルだと思うこともあります。だけれども、誰しもがなる可能性がある。治療を終えて、あるいは治療をしながら生き続ける必要がある。たくさんの人間がいる中の、ただたまたま病気になっただけの存在であると思ってほしい、とわたしはずっと考えてます。

7月半ば、キャンサーペアレンツの西口さんのお別れ会に出た際「がん患者のイメージを変えてくれた」とコメントしたのですが、少しずつ一部の患者たちが発信し続けることで、世間のイメージが変わってきているんじゃないかなと思います。

自分は十九年間、明日という日が来ることを無意識に信じて疑わなかったし、今日が来たことを確認さえもしなかった。そして事実、十九年間ずっと今日という日が訪れ続けた。

わたしはさらに10歳上の28歳で告知されましたが、ほぼ同じことを思っていました。東日本大震災があったときも、実家が福島なので自分が被災した可能性に思いを巡らせはしたけれども、「自分が死ぬ」という具体的なイメージに至りませんでした。

仕事や趣味は、努力をすればある程度は好きなことが手に入ると信じて疑わなくて、10年後も歳はとるけど変わらないと思っていました。でもある日その前提が変わる…… それが「がん告知」だと思いますが、5年たった今、わたしはまた元に戻ってきました。それは悪いことではなくて、人間は安心できる状況にはすぐに慣れてしまうし、つらいことは忘れるようにできている。それもまた、元気になっている証だと思っています。

この病気が、自分の大切な家族や、友人や、先輩や後輩や恩師の命ではなく、自分に降りかかって、それはそれで良かった。

わかる、めちゃくちゃわかる。こんなことを言ったらおかしいのかもしれないけれど、つらいのが自分で良かったと、わたしも何度も何度も思いました。この感情はなんていうんだろうな…… 名前があったら知りたいです。

僕の人生だ。僕以外の誰にも決めることはできない。神にだって、主治医にだって、誰にだって決められないのだ。

わたしも全く同じで、治療も人生も、主治医の意見は聞くけど全部自分で決める、というスタンスでした。だけれど、同じ病気の人の話を聞いていくと、全員がそういう思想というわけではないんですよね。自分で治療を決めるのは怖いし、生活をどうするかも指示をもらった方が楽ということだと思います。病気と向き合い続けないといけないからしんどい。

それでも、わたしも、自分の選んだ道を生きたいなあ。