おっぱいサバイバー

2015年28歳で乳がん告知。闘病の記録と感情をつづるブログ。

がんになっても働ける社会

がんになったわたしの治療中、わたしの精神を支えたのは、生きることであり、元の生活に戻ることだった。つらい副作用や長期間の投薬の目的は、もちろん、できるだけ長く健康に生きるためだけれど、現代の医療ではStage2aの乳がんは非常に高い確率で治る。だから、わたしの目指すものは、告知前の生活に戻ることだった。

つまり、自分の意思で職業を選び、お金を稼ぎ、好きなものに浪費し、好きな人と好きなように過ごすことである。がんであることを理由に、何かを諦めることは、できるだけしたくないと思っていた。同時に、がんであることで、何らかの差別を受ける恐怖も持っていた。闘病中に読んだ本の中には、がんであることを会社に告げたことで、意図しない部署への異動や退職を促されること、悪口・陰口、などが書かれていた。勤めている会社や、まわりにいる友人知人には恵まれているから、そんな差別まがいのことはないだろうと思っていたけれど、それでもやはり、恐怖はあった。治療方針を決めることや、医療費を払うことは個人で解決できても、まわりの環境はそう簡単にかえられない不安があった。

わたしは、がんになっても働ける社会というのは、がんが治る社会であり、がんが特別視されない社会だと思っている。

がんになったら一時的に働けないこともあるだろうし、がんになったことで仕事を変えたり辞めたくなる患者もいるだろう。激務だった仕事を辞めて、もう少し自分の時間を増やしたくなる人もいるかもしれない。その選択が、社会や会社の圧力によって決まるのではなく、その人自身の意思で決められる社会が、「がんになっても働ける社会」だと、わたしは思っている。

乳がん告知受けてから1000日経過していた

ふと気づいたら、乳がん告知受けてから1000日経過していた。日数は、このブログのサイドバーのはてなカウンティングで記録している。そして、もうすぐ復職して2年が経つ。

いつからかは分からないけれど、告知される前からずっと、がんは体の中にあったのだろう。それなのになぜか、告知日を記念日のように思う。そんなポジティブなこと、告知直後はまったく考えられなかったけれど。あの日を境に人生は変わり、いまだに治療は続いている。それでも、ほとんど昔のように暮らしている。

正直にいえば、時が経つに連れて、病気について公開することをためらうようになってきた。「若い乳がん患者」というレッテルは、わたしの個性のひとつではあるけれど、肩書きではない。それは病院の中だけでもう十分、と思うようになってきた。

それでも時どきこうやってブログを書くのは、同じような境遇のひとに、少しでも勇気を与えられると良いと思うからである。わたし自身が治療中つらかったとき、病気を乗り越えた人たちの記録に勇気をもらっていたから。

最終的には10000日は生きたい。ところでその頃、はてなカウンティングはちゃんと表示されるだろうか。

『女子と乳がん』を読んだ

このフレーズだけで痺れる。帯にも抜粋されているこれは、作者が知り合いにかけられた言葉だそう。『女子と乳がん』は、今のわたしにとって最高の本だった。

乏しい知識で『がんで可哀想』とか妙に同情してくる世間の人たちや、『それでも私たち、前を向いて生きています』とかやたらキラキラしたがる乳がんの女たちに知らしめてくださいよ。別にがん患者は聖女でもないし、社会悪でもなくて、あなたと変わらない普通の人間だって

p. 195

2017年に読んだ本の中でも、これまで読んだ乳がんに関する本の中でも1位。いま、わたしが思っていることほぼすべてを代弁してくれている。作者みたいな乳がん患者になりたい。病気には二度となりたくないけれど。とくに若年性乳がんの患者で社会復帰をしたひとには漏れなく読んでほしいし、男女問わず重病の患者・家族・友人知人にも読んでほしい。もう、ありとあらゆる人に読んでほしい。

とにかく全体的に良い。あまりに良すぎて、重点だけを書いても長くなったけれど、感想をまとめた。でも、わたしの意見はどうでもいいので、とにかく本を読んでほしい。

女子と乳がん

女子と乳がん

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