おっぱいサバイバー

2015年28歳で乳がん告知。闘病の記録と感情をつづるブログ。

乳がん宣告から復職するまでの感情の変化、マズローの欲求5段階を体感した話

筆者が抗がん剤治療や手術を行ったのは2015年のため、治療に関する情報は最新と異なる可能性があります。なお、筆者の近況はTwitterで発信しています。

乳がん治療のため8ヶ月近く休職していましたが、2月8日から復職しました。
治療はまだ続くものの、いまはもう日常生活は問題ない状態です。残りの治療については前回の記事に書いています。

oppai-survivor.hatenablog.com

宣告を受けてから社会復帰するまで、さまざまな感情の変化がありました。
いま治療をされている方は「仕事を辞めたい」とか、「生きていられるなら、このままで良い」と思うことが何度もあるかもしれません。でも、諦めずにいれば社会に戻れるし、今までどおりの生活が戻ってきます。
どうか、家族や友だち、会社の人事担当者など、まわりの方も「感情の変化があること」を理解して見守ってくれるような社会になればと思います。

宣告直後

ショックだったものの、ある程度は覚悟していたこともあり、死への恐怖は数日で乗り越えました。「長生きしたい」という生存の欲求が強く「どんな治療でもする」と思っていました。
もともと仕事と家庭のバランスなどで悩んでいたので、治療が最優先になることで「人生の優先順位に悩まなくて済む」と、少なからず解放された気持ちもありました。

抗がん剤治療中

わたしの場合、抗がん剤が1クール目からとてもよく効いたため、生存への欲求はすぐに薄れました。一方、休職をしたことや、副作用で家事はおろか自分のことすらできない時期があったため、社会的に役に立たない人間になった気がしていました。
最も副作用がひどいときは「安心して自分のベッドで休みたい」と思い、少し回復してくると「おいしいものを食べたい」という気持ちの変化がありました。
落ち着くと「家族のために家事はやろう」とか、ブログを書こう・インターネットで乳がん仲間を見付けよう(Instagramでハッシュタグをつけて投稿したり)など、社会的なつながりが欲しくなりました。

手術〜放射線治療中

体力も徐々に戻ってきたため、家事をしたり、友だちと会う回数が増えました。「家族の役に立つこと」や「社会(友だち)とつながること」を求めていたタイミングです。
当初の予定よりは長引いたものの、復職も見えてきて、会社のひとと会う機会も増えました。ただ、何かやりたい仕事があるというよりは「会社に属したい」という気持ちのほうが強かったです。そのままの思いを会社にも伝えましたが、いままでと変わらずに受け入れの準備をしてくれたのはありがたかったです。

現在

復職の際、あたたかく迎えられて本当にうれしかったです。休職する直前の日、笑顔で挨拶したんですが、まさか泣いて戻るとは思っていませんでした。
その一方、本当に仕事ができるのか?何かできなくなっているんじゃないか?という恐怖が少なからずありました。でも意外と前と変わらずできるもので安心しました。
仕事を始めてみると「みんなに良いと思われるものを作りたい」とか「多くのひとに使ってほしい」と思うようになって、これが承認欲求だったなと再実感します。まあでも、いまは焦らずに、きちんと出社して目の前のことをできるようにリハビリです。

これから

たぶんきっと、もう少し経つと「自分らしいことがしたい」とか「こういうことがしたい」という欲求が出てくるのだと思います。それはもしかしたら仕事の面じゃないかもしれないけれど、自分の欲求や感情は変化するものだと闘病を通じて理解したので、これからは自分に素直に生きていきたいと思っています。


で、この感情の変化、何かで見たことがあると思っていたらマズローの欲求*1そのものでした。貴重な体験をしたなと思います。もうしたくないですけど。
あえて良かった点を挙げれば、いままでより少しは、ひとの痛みが分かる人間になれたことだと思います。

これから治療をする方・現在まさに治療中の方、そしてそのまわりの方も、こういう感情の変化があるということを理解すると少しは気が楽になると思います。

わたしは、まわりの方々に恵まれてラッキーでした。
がん患者も過ごしやすい世界や社会がもっと広まりますように!