おっぱいサバイバー

2015年28歳で乳がん告知。闘病の記録と感情をつづるブログ。

竹田圭吾さん死去と、がんによる著名人の訃報に立ち向かうこと

筆者が抗がん剤治療や手術を行ったのは2015年のため、治療に関する情報は最新と異なる可能性があります。なお、筆者の近況はTwitterで発信しています。

膵臓がんの闘病をされていた、竹田圭吾さんが亡くなられました。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20160110-00000083-sph-sociheadlines.yahoo.co.jp

テレビなどのコメンテーターとして活躍されていたそうですが、膵臓がんを患われていると知ってから、わたしは Twitter での投稿をときどき拝見していました。
特にこの Tweet は、わたしが抗がん剤治療で落ち込んでいたときに、「がんになっても人生は続くのだ」と強く励まされました。

一方、以下の Tweet に対しては、逆の意見として「がん治療は孤独ではない」と思っていました。
いまにして思えば、わたしには想像できないくらい過酷な闘病をされていたのかもしれません。

ちなみに、そのときのわたしの Tweet はこちらです。

最期まで精力的に活動された姿、ほんとうに格好良かったです。
でも、こういう結果になったのは、どれだけ納得して治療していたとしても、ご本人もご家族も悔しいだろうと思います。
どうか安らかに眠れますように。ご冥福をお祈りいたします。

実は、つい最近まで、著名人のがんによる訃報を受け止めることができませんでした。そういったインターネット記事やテレビ番組は、できるだけ見ないようにしていました。
たったいま、竹田さんの訃報を目にした際に、いままで目を背けていた類のニュースを、きちんと受け止められていることに気づきました。

映画やドラマで「がん」を扱うとき、多くは「死」と結びつくようにつくられています(実際に数えたわけではないので、あくまで主観ですが)。
乳がんの治療を始めてから、そういう作品によって、一般の(がん患者でない)方のがんに対するイメージが「イコール死」になることが嫌でした。
一方で、わたし自身も、著名人のがんによる訃報を見るたびに「こうなったらどうしよう」という死に対する恐怖と結びつけずにはいられませんでした。

いまでは、がんを告白して精力的に活動することも、訃報を報道されることも、それらはただの結果でしかないと思えるようになりました。
訃報はニュース性が高く、取り扱いも大きいものですが、その陰では闘病しながらも精力的に活動されている方がたくさんいます。

もしかすると、このブログを読んでいる乳がん・がんの方の中にも、まだそういうニュースを受け止められない方がいるかもしれません。
でも、絶対にいつか大丈夫になります。

誰かの無念を晴らすのが、これからを生きていくものの使命だと思っています。

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